安倍元首相暗殺は“民主主義への脅威”ではなく“警備の失敗”

安倍晋三 コラム
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NPO法人海外安全・危機管理の会 代表理事
菅原 出

7月8日午前11時半頃、奈良市内西大寺東町の近鉄大和西大寺駅前の路上で、参議院選挙の街頭演説中だった安倍晋三元首相が、背後から近づいた男に銃撃され死亡した。衝撃的な事件から2日経った今日も、マスコミはこの事件の詳細や背景、逮捕された山上徹也容疑者の動機や事件に使われた武器などの情報を次々に伝えている。

本コラムでは、危機管理やセキュリティ対策に携わる人間の一人として、今回の安倍元首相殺害事件について思うところを記したい。

“テロ”ではなく政治性のない“殺人事件”

9日、岸田首相は「民主主義の根幹である選挙の最中に暴力で原論が封殺されることは、絶対に許してはならない」「民主主義を守るため、自由で公平で安全な選挙を完結させる責任がある」などと語った。

他の候補者も、「民主主義を守らなくてはならない」といった発言をしており、「暴力で原論を封じる」「民主主義に対する脅威」「テロに屈しない」といった文脈で今回の事件を語っている。メディアの中にも、政治と暴力、テロと民主主義といった切り口で論じているものが多く見られる。

安倍晋三という超大物の政治家が選挙期間中の街頭演説で銃殺され、一瞬にして命を奪われたという衝撃の大きさから、このような反応が出るのは無理もないのかもしれない。

しかし、今回の事件は、“民主主義に対する脅威”でも“暴力による原論封殺”でも何でもない。そんな大袈裟なレベルの話ではなく、いつの時代でも出てくる犯罪者による殺人事件であり、この程度の脅威はいつでも想定し警察が取締り、対処しておけばいいだけの話である。

それが今回は、歴史に残る日本警察の大失態でこんな事態にまでなってしまっただけであり、事案の本質は“警備の失敗”である。

山上容疑者は、統一教会に恨みを抱いており、同団体と安倍氏の関係が深いと思い込み、個人的な恨みを晴らすために安倍氏殺害を計画したと報じられており、これが真相だとすれば、今回の暴力は一般的な「テロ」の定義にさえ当てはまらない、政治性のない単なる殺人事件だ。

右翼団体や極左団体、テロ組織などによる組織的な襲撃などではなく、単なる個人による犯行を警察が防ぐことができなかった・・・。

警備の世界の常識

7月10日に警視庁公安部長や警察庁警備局長などを歴任した米村敏朗元警視総監が、NHKで次のように述べていた。

「無事に警護を終えられれば100点だが、失敗であれば0点という結果がすべての世界だけに、今回の結果は警察の失態とも言える」。

またそのうえで、「容疑者は車道を出て安倍元総理の背後から襲撃しているが、ほかの人とは明らかに異なる動きをしながら歩いて向かってくる時点で不審者と見込まれるため、警察官がすぐに制止する必要があった。警備の現場では、警護の対象者に危険がおよぶ可能性が高い場合は、上司の命令を待たず配置された警察官のとっさの判断が生死を決めることもあるため、日ごろから訓練や教育が徹底されている」と話していた。

ここで米村氏が指摘しているように、警備の世界では何も起きなければ成功、少しでも何か起きてしまったら失敗である。当たり前のように何も起きない、すなわち成功しても誰からも褒められることはなく、失敗した時だけ責任を負わされる。それが警備の世界の常識であり、この仕事に就いているものは皆そのことを理解している。

だから筆者は、この銃撃事件が起きた直後に、詳細は明らかになっていない時点だったにもかかわらず、“警察の失態”とのコメントを発表した。しかし後に、より詳細がわかり、犯行時の容疑者の動きが撮影された動画が出回るようになった後には、“歴史に残る日本警察の大失態”とコメントを修正した。

容疑者は明らかに聴衆とは異なる動きをして安倍元首相の背後に近づき、バッグから銃のようなものを取り出して発砲、凄まじい銃声と共に白い煙が立ち、一発目を外したためそのままさらに前進して安倍氏の背後3~4メートルの位置で2発目を発射していた。

警護チームが360度警戒という当たり前の警備さえしていれば、容疑者が攻撃を開始してから1発目を発射するまでの間に、警護要員が安倍氏を守る行動をとるのに十分な時間があったことは明らかだ。しかも1発目の銃声をした後でさえ、プロの警護要員であれば安倍氏に覆いかぶさるなど、防御のための行動をとることは可能だったはずである。

「咄嗟のことで警護要員も動けなかったのではないか」と思うかもしれないが、それは普通の人の場合であり、警護のプロたちはそうした場合にでも行動できるように訓練をしている。逆に言えば、訓練をすればそうした非常事態発生時にも身体は動くようになる。

そもそも360度警戒していれば、あのようなバッグを持っているだけで要警戒人物として事前にマークしていなければ警護要員として失格だ。映像を見る限り、聴衆の数もそれほど多くはなく、十分に要警戒者として特定できたはずである。

容疑者が黙って演説を聞いている間でさえ、彼の監視を続け、同容疑者の状況を逐一無線でチーム全員に報告し、動き出したらそのことも報告してチーム全体で次に備える。それが通常の身辺警護チームのオペレーションであり、そのような当たり前の警護さえしていれば、発砲する前に十分に止めることができたと断言できる。

筆者が、犯行の動画を観てもっともショックだったのは、その攻撃の稚拙さである。容疑者は元海上自衛隊員ということばかり強調されているが、攻撃の手口は全く洗練されておらず、素人に毛が生えた程度のものだ。手製銃にしても、火薬の量はかなり多く威力は強かったとは思われるが、構造は火縄銃と同じ単純なものであり、あそこまで容疑者に接近されなければ致命傷にはならなかった可能性もある。

いずれにしても、この程度の攻撃さえ止められなかった警視庁SPの無能さに憤慨し、こんな攻撃で命を落とされた安倍元首相のことを考えると、無念で涙があふれた。

警察に厳しいことを書くようだが、彼ら自身がここで指摘したことを一番わかっていると信じる。警備のプロとしての誇りを持って、もう一度、基本からやり直して欲しい。

身を守るための基本動作の重要性

この悲劇が起きる前日、筆者は某企業の新入社員向け危機管理研修の講師をつとめ、半日かけて銃声や爆発音が聞こえたらすぐに伏せる訓練を実施したばかりだった。これは海外の危険地を想定したものだったが、スピーカーで何度も銃声や爆発音を大音量で流し、その都度その場に伏せる訓練を繰り返し、新入社員たちに身体で基本動作を覚え込ませた。この若い社員たちは、翌日に発生した悲劇を耳にして、こうした訓練の重要性を思い知ったのではないかと思う。

犯行動画を観る限り、一回目の銃声がした時、地面に伏せるという基本行動をとった人は誰もいなかったように思う。

爆弾をつくろうとか、銃をつくろうとか、誰かを殺そうとか、そんなことを考える輩はいつの時代でも出てくる。どんなに規制をしたところで、その気になれば民生品を使って銃をつくることは可能だろう。この程度の脅威はいつでも存在するという前提で、治安機関の方々だけでなく、一般市民も、銃声がしたら地面に伏せるくらいのセキュリティの基本動作を身につけるべきである。

この悲劇をきっかけとして、警察は本来の力を取り戻して日本の安全のために努め、われわれ一人ひとりもセキュリティ意識を高め、自分の身を守る能力を向上させる、それが安倍元首相の死を無駄にしないためにわれわれができることではないか。

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