知られざるメキシコ麻薬戦争の裏事情
NPO法人海外安全・危機管理の会
特別研究員 棚橋 悟
「元メキシコ国防大臣が任期中に麻薬カルテルとつながり、麻薬密輸や資金洗浄に関与した容疑でアメリカで逮捕された!」
日本でも色々なニュースサイトで掲載され話題になったこのニュースは、世界的に大々的に報じられ大きな衝撃を呼びました。しかし、事態はそこで留まらず、逮捕から1ヵ月後にはアメリカが元国防大臣の訴追の取り下げを決定。その後この元国防大臣はメキシコに移送された後に、なんと、不起訴となり無罪放免になったのです。
この事件は、メキシコにおける麻薬戦争と深く関わっています。なぜこの元国防大臣はアメリカで逮捕され、その後無罪放免となったのか? 本コラムではメキシコ麻薬戦争という側面から今回の事件の真相に迫り、その大きな背景としてのメキシコの現状を考察していきたいと思います。
事件の概要と経緯
まず、この事件の簡単な概要をみていきます。
メキシコのエンリケ・ペニャ・ニエト政権(2012~2018)で国防大臣を務めたシエンフエゴス・セパダ将軍が家族との休暇で訪れていたロサンゼルスで逮捕されたことがこの事件の始まりです。逮捕された原因は3件の麻薬密輸と1件の資金洗浄に関与していた疑いでした。逮捕されて数日後にはロサンゼルスからニューヨークに移送され、法廷にて審議を受けました。
しかし、シエンフエゴス将軍が逮捕されてから約1ヵ月経ったところで突然訴追が取り下げられ、その翌日にはメキシコに移送されました。その後、2カ月にわたりメキシコにて調査が行われましたが、「アメリカで起訴された内容には関与していない」との結論で不起訴となり、無罪放免になりました。
ここまでの流れを簡単に時系列で整理すると以下のようになります。
<2020年>
10月15日 シエンフエゴス将軍がロサンゼルスにて逮捕
11月6日 第1回目の法廷にて無罪を主張
11月17日 アメリカが訴追を取り下げ・釈放の決定
11月18日 メキシコに帰国
<2021年>
1月14日 メキシコの共和国検事局(FGR)にて不起訴が確定
今回の事件はメキシコ・アメリカ両国で大きな衝撃を呼び、波紋を広げました。私達にとっても衝撃的なニュースではありますが、特にメキシコの人々は日本人の私達以上にショックを受けたようです。メキシコの人々がなぜそこまでの衝撃を受けたのかは、現在この国で進行中の麻薬戦争が関係しています。
メキシコ麻薬戦争とは?
これは悲しいことではあるのですが、多くの人がメキシコのイメージとして思い浮かべるのは凄惨な麻薬戦争ではないでしょうか。治安が非常に悪いというイメージもあるかもしれません。筆者は2014年~2015年までメキシコに滞在していた経験がありますが、日本人でもしっかりと注意を払ってさえいれば、危険な目に遭う可能性は低いと考えています。また、メキシコ人の人柄の良さや温かさは世界でも有数であり、魅力的な国だと断言できます。
ただし、その反面で麻薬戦争が重大な悪影響をメキシコに与えているのも残念ながら事実です。本コラムではメキシコの麻薬密輸の詳細な歴史について紙面を割くことは控えますが、簡単に概要を紹介したいと思います。
近年の中南米の麻薬密輸においては、コロンビアが主体となってアメリカへ麻薬を密輸していました。メキシコはそのコロンビアの麻薬密輸の経由地として利用されていました。しかし、アメリカがコロンビアで麻薬カルテル撲滅政策を積極的に実施し、コロンビアの麻薬カルテルが衰退していくことがきっかけとなり、メキシコの麻薬密輸に対する重要性が急上昇しました。メキシコの麻薬組織が頭角を現し、最終的にはコロンビアが築いた多くの市場を彼らが代替して支配するようになりました。
初期の段階では、メキシコ全土の麻薬密輸を、ほぼ一つの組織が牛耳っていました。しかし、その組織のトップが逮捕されたことにより部下達による次のトップの座を巡っての争いが発生し、部下同士の抗争は激化の一途を辿っていきました。その結果、それぞれの部下達が率いる麻薬カルテルが自分たちの支配地域に跋扈し、群雄割拠するような事態に陥りました。
こうして各麻薬カルテル同士の継続的な抗争の頻発により、治安悪化や殺人率の急激な上昇を招く結果となり、一般のメキシコ人にも悪影響を及ぼすようになっていきました。
この事態を重く見たメキシコのフェリペ・カルデロン大統領(56代目大統領:在任期間2006年~2012年)は麻薬カルテルの撲滅を宣言し、治安機関の介入を始めることになります。これがいわゆる「メキシコ麻薬戦争」の始まりとなります。これまでは麻薬カルテル同士の抗争だけだったのが、治安機関(警察や軍)が麻薬カルテル同士の抗争に介入することになり、事態は更なる激化の一途を辿っていくことになります。
この麻薬戦争で、現在に至るまでに死者20万人、行方不明者数万人の被害が発生しています。現時点でも多くの被害が発生しており、最新となる2020年のデータによると年間の殺人による死亡者数は約34,500人となり、10万人当たりの殺人発生件数は27件です。日本では例年だと10万人当たりの殺人発生件数は0.2件です。メキシコは日本に比べると約135倍の殺人発生率となり、いかにメキシコが危険な状態であるかが分かります。
カルデロン大統領以降の政権(ペニャ・ニエト政権:2012年~2018年、ロペス・オブラドール政権:2018年~)もこの深刻な問題に取り組みますが、解決の目途が全く立っていません。
また、メキシコ麻薬戦争のもう一方の当事者はアメリカです。麻薬カルテルが密輸する大部分の麻薬の最終目的地はアメリカになります。アメリカでは毎年多くの若者が麻薬の過剰摂取により命を落としていることから、重大な社会問題となっています。そのようなことからアメリカもDEA(麻薬取締局:Drug Enforcement Administration)などが中心となり、長年にわたってメキシコと協力しつつ麻薬戦争で重要な役割を担い、活動をしています。しかし、そんなアメリカが介入していても事態の収拾には至っていません。
シエンフエゴス将軍はなぜ起訴されたのか?
では、今回の前国防大臣逮捕の件は麻薬戦争の文脈でどういった意味を持つのでしょうか? まずは本件で逮捕されたメキシコの前国防大臣であるシエンフエゴス将軍について詳しくみていきましょう。
今回渦中の人物の本名はサルバドル・シエンフエゴス・セパダ(Salvador Cienfuegos Zepada)です。シエンフエゴスは1948年にメキシコシティで生まれ、15歳で軍の士官候補生養成学校に入学しました。ハリスコ州、ゲレロ州、チアパス州等のメキシコ各地にて勤務し、軍で実経験を積んでいきます。1997年にはメキシコシティの英雄軍事士官学校の学長になるなど、着実に軍のキャリアを築いていきます。
余談とはなりますが、シエンフエゴス将軍は実は日本との所縁もあります。同将軍は1988年~1990年まで東京のメキシコ大使館にて駐在武官として勤務していました。そのような経緯もあることから、2018年に当時外務副大臣であった佐藤正久議員が訪墨した際、シエンフエゴス将軍に表敬訪問をしました。両国間の防衛交流を更に強化していくことなどが話し合われたと外務省の記録には残っています。
その後、シエンフエゴス将軍は最終的にペニャ・ニエト政権(57代目大統領:在任期間2012~2018)にて国防大臣となりました。前カルデロン政権から引き継がれた麻薬カルテルとの壮絶な戦争において陣頭指揮を執り、多くの戦いで功績を残しました。彼が国防大臣の任期中に起きたとりわけ大きな出来事は、シナロア・カルテルのボスであるホアキン・グスマン(Joaquin Archivaldo Guzman Loera)の逮捕です。グスマンは別名<エル・チャポ(日本語でチビの意味)>としてメキシコ全国民に<麻薬王>として知られた人物です。
アルカイダのオサマ・ビン・ラディンが暗殺されて以降の一時期、グスマンはアメリカに「最大の敵」と言わしめた人物でもあります。シエンフエゴス将軍の任期期間にはこのような大物麻薬王が逮捕されたこともあり、メキシコ国民にとって同将軍は英雄として認められていました。
では、そんな輝かしい経歴を持つシエンフエゴス将軍がどのような容疑でアメリカで逮捕されたのでしょうか。
シエンフエゴス将軍の起訴内容は3件の麻薬密輸と1件の資金洗浄に関与した疑いです。アメリカ連邦検察によると、シエンフエゴス将軍は「H2カルテル」という麻薬カルテルとのつながりをもち、そのカルテルがドラッグ(大麻、コカイン、ヘロイン、メタンフェタミン等)を運搬する際に裏で支援したとされています。
具体的な支援内容としては、軍の作戦内容をH2カルテルに密告することで被害に遭わないように誘導したり、そもそも軍の作戦からH2カルテルを標的の対象外にしたりしていたとされています。
麻薬戦争にて指揮を執るはずの国防大臣が、麻薬カルテルと共謀をしていたということだけでも私達にとっては非常に驚くべき内容です。しかし、メキシコやアメリカでは更に衝撃的な内容が報道されます。それは、H2カルテルのボス自体がシエンフエゴス将軍ではないかという報道です。
そもそもこのH2カルテルの源流はベルトラン・レイバ・カルテルという麻薬カルテルでした。このベルトラン・レイバ・カルテルは麻薬の生産・密輸の他、脅迫、誘拐、請負殺人など様々な悪行に手を染め、2000年代後半にメキシコ全土を恐怖に陥れたカルテルの1つです。
2010年に大物幹部達が殺害・逮捕されたことによりベルトラン・レイバ・カルテルは壊滅しました。しかし、ベルトラン・レイバ・カルテルは壊滅した後も多くのカルテルに分裂し、分裂したカルテルが今なお各地を支配しています。H2カルテルもそのようなカルテルの代表的な1つとなります。
H2カルテルは2013年からボスであるパトロン・サンチェス(Juan Francisco Patron Sanchez)に率いられ、メキシコのナヤリット州、シナロア州、ハリスコ州などで活動していました。パトロン・サンチェスは壊滅後のベルトラン・レイバ・カルテルの多くの残党を率いており、実質的にはベルトラン・レイバ・カルテルの後継のボスとしてH2カルテルに君臨していました。以上のことから分かる通り、パトロン・サンチェスはメキシコの麻薬カルテルにおいても重要人物の一人でした。しかし、メキシコ政府のパトロン・サンチェスへの対応については不審な点が見受けられます。
当時のペニャ・ニエト政権では、麻薬戦争において122人の麻薬カルテルのボスを最重要ターゲットとして指名手配しました。しかし、そのリストの中にパトロン・サンチェスの名前はありませんでした。悪名高いベルトラン・レイバ・カルテルの後継となるH2カルテルを率いていた人物がどうして最重要ターゲットに入っていないのでしょうか。
実は、この最重要ターゲットの指名手配を選出する責任者の1人がシエンフエゴス将軍でした。シエンフエゴス将軍が意図的にパトロン・サンチェスをリストから除外したのではないかと噂されています。更にパトロン・サンチェスに敵対する人物達は軒並み最重要ターゲットに指名されています。彼らは軍から集中的に攻撃され、弱体化していきました。そのため、必然的にパトロン・サンチェスは麻薬カルテル同士の抗争の中で台頭していくことになりました。
そんなパトロン・サンチェスですが、2017年にメキシコ軍の襲撃により殺害されています。その後のH2カルテルのボスは<ゴッドファーザー(El Padrino)>と呼ばれ、今まで素性は全く不明でした。しかし、今回の事件でその人物はシエンフエゴス将軍ではないかという疑惑が強まりました。麻薬カルテルとの闘いで陣頭指揮を執っているはずの国防大臣が麻薬密輸に関連していた、それどころか麻薬カルテルのボスかもしれないということは世界中の人々に大きな衝撃を与えました。
<つづく>
タイトル画像:棚橋悟