【用語解説】エアパワーとは

エアパワー コラム
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岸本将行(拓殖大学 国際協力学研究科 安全保障専攻)

エアパワーとは何か

エアパワーとは主に各国の空における力、特に空軍や海軍航空隊の戦力を示す言葉です。広義では空を管理する能力として航空管制や航空政策など軍事セクション以外の政府の政策や民間航空会社、航空機メーカーなどの民間企業体などの国家における包括的な空の在り方を示す概念です。近年では宇宙開発の進展とともにスペースパワーやドローンとも連接して用いられる概念ではありますが、本稿では従来の航空戦力を主軸とするエアパワーに絞って解説を行います。

エアパワーの特色

エアパワーの特色として一般的に挙げられるのは以下の点です。

突破力、高い速度、広範囲の行動能力、地形的制約を受けない高い機動力などが挙げられるでしょう。これは二次元的で地形や距離の影響をより強く受けるランドパワーやシーパワーといった従来の戦力とは違い3次元的な空を領域とする戦力であるからです。

しかしその一方で、ランドパワーやシーパワーと違い、燃料を消費せずに空中に部隊を存在させておくことが出来ないことや、機能の維持を基地に依存し地上においては脆弱なため、機動戦力であることを宿命づけられ領域を保持する能力については乏しいことが指摘できるでしょう。

このように20世紀以前に用いられていたランドパワーやシーパワーとは根本的に違う戦力であることが分かると思います。

エアパワーの歴史

陸と海に続いて人間が戦闘に利用するようになった領域である空ですが、空が初めて戦闘領域として利用されたナポレオン時代や、その後の普仏戦争時代には気球による偵察や極めて限定的な爆撃や輸送作戦に用いられたのみでした。これは気球の性質として機動力に乏しい事や搭載量の少なさ、無線技術の未発達など技術的問題が多く、本格的な運用はライト兄弟が1903年に飛行機を発明し、その有用性が各国軍関係者に行き渡るまで待たねばならなかったのです。

飛行機が初めて実戦に投入されたのは1911年の伊土戦争で、リビア戦線においてイタリアがオスマントルコに偵察や連絡などで用いたのが始まりでした。その後は翌年のバルカン戦争、更に1914年から始まった第一次世界大戦で航空機は欧州中で運用され大きな戦果を上げる事となります。

第一次世界大戦の終結後、戦間期と呼ばれる時代にはエアパワー論が大きく発展しその脅威と有用性が各国の軍関係者だけでなく、一般国民にも認識され始めるようになりました。

その中で空軍万能論と爆撃機優位論という二つの議論が出てきました。

「空軍万能論」は、空軍を整備しておけば戦争時に敵首脳部や工業や人口の密集地への打撃を迅速に加えることができるので、迅速かつ人道的に戦争に勝利できるという理論。一方の「爆撃機優位論」は戦闘機や対空砲は爆撃機を捕捉迎撃する事は困難であり、有効に迎撃戦闘を行えないため防空能力に投資するよりも爆撃機に注力すべきというものでした。

これらの議論はレーダーや無線といったエレクトロニクス技術が未発達であり、大戦で陸戦での大きな犠牲を経験していた各国にとってエアパワー黎明期においては非常に合理的なものであり、ジェリオ・ドゥーエやウィリアム・ミッチェル、トレンチャードらはこれらの議論を主導していく事となります。

しかし、第二次世界大戦ではレーダーや無線などエレクトロニクス分野での発達が多く見られたため、バトルオブブリテンでは英国空軍戦闘機部隊がドイツ空軍爆撃機部隊に対して有効に迎撃戦闘を繰り広げ、英国への本土侵攻を阻止したことから戦闘機や防空兵器それらを効率的に運用できるシステム化された防空システムの有用性が知れ渡る事となりました。

また、エアパワーとランドパワーやシーパワーの連接への試みも戦間期において検討が行われ、前者はドイツ、ソ連、フランスで、後者はアメリカ、日本、イギリスで積極的に検討や戦力の整備が行われました。ドイツ軍の緒戦の電撃戦をドイツ空軍が支えていたことや、日米が太平洋において空母と海軍航空隊を広範に運用したことは、戦史に多少なりとも明るい方なら周知の事実だと思いますが、このようにしてエアパワー論は発展していったのです。

現代エアパワーの歴史

第二次世界大戦が圧倒的な都市爆撃の効果を見せつけ、日本に対する2発の原爆投下で幕を閉じ、米国とソ連の間で冷戦が始まると、再び空軍万能論的な議論が核兵器の威力をバックに米国で勃興しました。しかしながら、核兵器や都市爆撃に対する非人道性は第二次世界大戦中ですら議論の対象となっており、1949年のジュネーヴ諸条約の改正により民間人を殺傷する目的での武器使用が禁じられた事と、ベトナム戦争でエアパワーに頼った米国がエアパワーで劣性であったベトナムに敗北した事により、再びランドパワーやシーパワーの重要性が認識されるようになっていきました。

また、ミサイルや誘導爆弾といった誘導兵器の発達もエアパワーに大きな影響を与えていきました。核兵器の運搬手段は弾道ミサイルの開発以前はエアパワーによる独占状態でありましたが、大陸間弾道ミサイルや潜水艦発射型弾道ミサイルの配備の進展とともに独占的立場を失い、戦略的なエアパワーの優位性を揺るがし、地位を低下させるものでした。

しかし、誘導兵器の登場は戦術面においてはエアパワーの有用性を飛躍的に高めるものでした。ベトナム戦争後、高い命中精度を持つ戦術誘導兵器の運用により、戦略空軍としてではなくランドパワーやシーパワーを援護するための戦術空軍としての模索が始まりました。それが結実したのは1991年の湾岸戦争であり、米国を主力とする多国籍軍はクウェートに侵攻したイラク軍をランドパワーとエアパワーの連携を持って完封しました。

以降、戦略爆撃という唯一のエアパワー独自領域を失ったことと誘導兵器の導入により、各国のエアパワーはランドパワーやシーパワーの援護が第一任務となっていく事になります。

しかしながら、エアパワーの援護なしでは現代戦を戦うことはできないことは明白であり、エアパワーの重要性が低下したわけではない事は留意すべきでしょう。


参考文献

石津朋之 山下愛仁編著「エア・パワー 空と宇宙の戦略原論」日本経済新聞出版社、2019年

戦略研究学会、源田孝編著「戦略論大系⑪ミッチェル」芙蓉書房出版、2006年

源田孝 著「ストラテジー選書③アメリカ空軍の歴史と戦略」芙蓉書房出版、2008年

マーティン・ファン・クレフェルト著 (源田孝監訳)「エア・パワーの時代」芙蓉書房出版、2013年


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