歴代米政権のイラン政策はどうだったのか?

IRAN USA コラム
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今回は米国の歴代政権とイランの関係を簡単に振り返ってみたいと思います。

米国政府は、レーガン政権時の1984年1月にイランを「テロ支援国家」に指定し、それ以来イランとの「テロとの戦い」を続けています。

でも共和党政権、民主党政権問わず、これまでに何度もイランとの関係改善を試みたことはあります。ブッシュ父政権の時も、クリントン政権の時も、関係改善を目指してイランとの交渉を試みたことがありました。

詳細は省きますが、イラン国内には革命世代の指導者層を中心に根強い反米強硬派がいます。

“欧米諸国と関係を強化して国の経済発展をはかろう”と考える穏健な国際協調派もいるのですが、よほどイランにとって都合のよい条件にならない限り、保守強硬派の人たちを満足させるのは至難の業です。

一方の米国内にも、テヘランの米国大使館占拠事件で人質になった経験のある人たちや、イランと敵対するイスラエル寄りの議員など、イランとの関係改善に反対する人たちが多くいます。特に米議会にはイスラエル寄りの議員たちがたくさんいますので、イランと取引する企業を制裁対象にする法律などをこれまで山のように作ってきました。

それでもジョージ・W・ブッシュ政権の時に、イランは米国との関係改善を目指した時期がありました。イランと8年間も戦争をして敵対していたイラクのフセイン政権や、当時イランと仲の悪かったアフガニスタンのタリバン政権を米国が倒してくれたのです。しかし、ブッシュ政権は、イラク、イラン、北朝鮮の3国を「悪の枢軸」として敵視する政策をとりましたので、イランにも強硬派の政権が出来ました。

当時ブッシュ政権を支えたいわゆる「ネオコン」たちは、「イラクの次にはイランを叩くべし」とまで主張していましたし、ちょうどこの頃、イランの秘密の核計画が明らかになったこともあって、ブッシュ政権時に米国とイランの関係は著しく悪化しました。

2009年1月に大統領に就任したバラク・オバマは、「核なき世界」へ向けて核軍縮や核拡散防止の分野で何らかの成果をあげることを大きな目標とし、イランの核開発問題の解決を優先課題の一つにしました

オバマ政権は発足当初から、イランに対して対話を呼びかける柔軟姿勢を見せましたが、根深いイラン側の対米不信からすぐに挫折。オバマ政権第一期は、イランに対する圧力政策を強化。米国による厳しい対イラン制裁が次々と科され、それに反発するイランが核開発を加速させるという応酬により米・イラン関係は悪化し、イランの核武装を恐れるイスラエルによる対イラン軍事攻撃の可能性が高まりました

当時イスラエルは、「イランの核開発を外交的に止めることのできる期限は2013年夏。それ以降は軍事オプションしかなくなる」と警告を発していたのですが、その期限ぎりぎりの同年6月の選挙でロウハニさんという国際協調派がイランの大統領に当選。このロウハニ政権下で、イランは米国との核交渉に本腰を入れていくのです。

国際的な孤立状態から抜け出すことを目指すイランのロウハニ政権と、イランの核開発制限を狙ったオバマ政権の直接交渉は、何度も暗礁に乗り上げましたが、2年近くの粘り強い交渉の末、2015年7月に遂に最終合意に至りました。それが「イラン核合意(JCPOA)」と呼ばれる合意です。

の合意はイランの核開発の“もっとも危険な部分を後退させ、一時的に凍結させる”、すなわちイランの核能力を「制限」することに力点が置かれその「制限」の見返りとして経済支援というアメを与えるという内容でした。両国の長い対立の歴史から、ここまで漕ぎ着けるだけで精一杯だったのです。

この「制限」についても時限的なものであり、恒久的にイランから核能力を奪うものではなかったため、後にドナルド・トランプをはじめとする合意反対派から大いに批判されることになります。

また、イラク戦争により、イラン最大のライバルだったフセイン政権が崩壊したため、イランはイラクへの影響力を拡大させました。イラクやシリアはその後内戦になり国内が不安定化し、過激派イスラム国(IS)がカリフ国を作って大混乱になったのですが、イランはイラクでもシリアでも、現地のシーア派の民兵勢力を支援・組織化してISとの戦いに力を入れました

この対IS戦を通じて、イランはイラクやシリアに軍事拠点をたくさん作り、現地のシーア派民兵に対する訓練や武器供与を続けて勢力を拡大させたため、米国内の反イラン派の人たちや、サウジアラビア、イスラエルなど近隣国は、「イランの影響力拡大」に対する懸念を強めていきました。イランはまた、サウジアラビアと紛争状態にあるイエメンのフーシ派にも支援をして、イエメン紛争は長期化していきます。

「イラン核合意」により外国からの投資が活発化したこともあり、イランの経済力が増大しました。そうするとさらにイランの近隣諸国への影響力が拡大するため、サウジアラビアやイスラエルはイランに対する敵対姿勢を強め、イランとの関係改善を進めるオバマ政権との関係も悪化していきました。

こうしてオバマ政権が進めた米・イラン関係改善は、中東地域のパワーバランスを変え、伝統的な同盟国であるサウジアラビアやイスラエルとの関係を著しく悪化させることになったわけですが、そのオバマ政権の対イラン政策を徹底的に批判してきたドナルド・トランプが2017年に大統領に就任すると、それまでのオバマ政権の政策を180度反転させ、今度はサウジやイスラエルとの関係を強化し、イランを敵視する政策に邁進することになった、というわけです。

トランプ大統領は、とにかくイスラエルの喜ぶことをするという方針で中東政策を進め、2018年5月にイラン核合意から離脱し、イラン制裁を再開。イランに対して前例のない強力な経済制裁を科し、事実上の経済戦争を開始したのです。

トランプ政権は徐々にイランに対する締め付けを強めていきましたが、2019年5月には遂にイラン原油の全面禁輸措置に踏み切り、イラン経済を完全に締め上げるまで圧力を強めました。かつてない域にまで米国が踏み込んでイランに圧力をかけたことにイランは猛反発。イランは、圧力には徹底的に抵抗し、積極的に相手を揺さぶる作戦を仕掛けるようになりました。

イランは核合意に基づいて、一部の核開発を制限してきたのですが、その制限措置を一つずつ撤廃して核開発を進めるようになったのです。またイランは、米国に対して“我々に圧力をかけるには代償が伴う”ことを分からせるために、軍事的に抵抗する作戦も始めました。サウジの石油タンカーなどが攻撃を受けたり、サウジの石油施設に無人機による攻撃が行われるようになり、2019年6月にはホルムズ海峡近くで日本の船舶を含む石油タンカーが攻撃を受けて炎上する事件もありました。

同時にイラクにもイランの意向に従って動くシーア派民兵グループがたくさんいますので、彼らが米軍基地や米国大使館に向けてロケット弾を撃ち込むような事件も頻発するようになりました。

イランの主張は明らかです。“サウジの石油施設を破壊されたり、イラクにいる米軍を殺されたくなければ、イランに対する制裁をやめろ”ということです。“自分たちにはこう言うことをする能力がある。戦争の危機を回避したいのであれば、制裁を解除せよ”という瀬戸際戦術だと言い換えてもいいでしょう。

でもこれは非常に危険な戦術で、一つ間違えれば本当に戦争になってしまいます。実際、2019年12月にはイラクでイラン系のシーア派民兵が米軍基地を攻撃し、その報復に米軍がシーア派の拠点を空爆。さらにその報復にシーア派民兵が米国大使館を襲撃する事件が起き、その直後に米軍がイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を爆殺。イランがその報復にイラクに駐留する米軍に対して弾道ミサイルを撃ち、あわや全面戦争、というところまで緊張が高まりました。

こうして米・イランが戦争寸前まで緊張が高まってから一年。2021年1月20日にバイデン政権が誕生しました。次回はいよいよバイデン政権になってからの米・イラン関係をみていきたいと思います。

(つづく)

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