米・イラン対立の歴史を理解する

Iran USA コラム
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米国とイランが核問題をめぐる対立を続けています。バイデン米大統領はトランプ前大統領と違い、イランとの核交渉再開に意欲を示しているようですが、政権発足から2か月以上が経ちましたが、いまだに交渉再開の兆しは見えていません。

それどころか、“イラクで米軍基地がイラン系武装勢力の攻撃を受けた”とか、“米軍がシリアでイラン系武装勢力の拠点を空爆した”とか、“イランが支援するイエメンのフーシ派がサウジアラビアの石油施設を攻撃した”などというニュースがたびたび報じられ、中東からは軍事的な緊張が続いている様子しか伝わってきません。

中東は「世界の火薬庫」などと言われますが、最近はあまりに紛争が複雑になり過ぎて、誰と誰がどのような理由で戦っているのか、そもそもの利害対立の構図がよくわからなくなっている、という読者は少なくないのではないでしょうか。

このコラムでは、米国とイランをめぐる最近のニュースを理解するため、そもそもの対立の経緯や複雑に見える中東の諸勢力の利害関係の構図を整理して、今後の米・イラン関係をみるポイントについてお伝えしていきたいと思います。

対米敗戦の苦い経験が決定づけたイランの軍事戦略

まず少し歴史の話をします。

米国とイランの対立は、今に始まったわけではなく、この二国はすでに1980年以来40年以上も断交状態にあります。よく知られているように、1979年の革命以前のパーレビ政権時代のイランは、米国の同盟国であり、当時のイランは中東で最大の米国製兵器の購入国でした。

その親米政権を、ホメイニ師を中心とするイスラム教シーア派の宗教指導者が、イスラム主義思想を掲げて打倒し、イスラム統治体制を樹立したのが現在のイランです。実はこのパーレビ政権打倒の革命には、イスラム主義者だけでなく、共産主義者など様々な思想的背景の人達が加わっていたのですが、ホメイニ師等イスラム主義勢力は、国内のライバルを倒して権力を固める過程で、“テヘランの米国大使館占拠人質事件などを利用して反米感情を煽る強硬姿勢を貫くことで国内の支持を固めていった”という歴史があります。

つまり「イスラム体制の設立」に「反米闘争」という性格が埋め込まれているのです。現在の最高指導者ハメネイ師等、革命世代のイランの指導者の根強い対米不信はここから来ており、そう簡単には対米関係改善は出来ないという点を理解する必要があります。

革命体制を樹立して間もないイランは、1980年9月に隣国イラクのサダム・フセイン政権から攻撃を受け、以降8年間も戦争をしています(イラン・イラク戦争)。この戦争で中東のアラブ諸国や米国はイラクを支援してイランは国際的に孤立しました。

この危機に際してイランは、“近隣諸国のイスラム教シーア派住民の急進派グループ”に様々な支援を提供し、バーレーン、クウェート、サウジアラビアなどにネットワークをつくって対抗することを考えました。また1982年6月にイスラエルがレバノンに侵攻すると、イランはレバノン国内のシーア派を支援するため、1000人規模の部隊(革命防衛隊員)を派遣し、同国のシーア派社会を軍事的に防衛するため、現地のシーア派民兵組織に軍事訓練を行いました。

このレバノンを舞台にイランは、“現地の代理勢力を通じて間接的に米国へ攻撃を仕掛け”、“代理勢力によるテロ”を対外政策の道具として使う手法を確立していきました。

1980~90年代にイランが仕掛けたとされる対米テロは、現在の基準からするとかなり激しいものでした。今だったら一発で戦争に発展してしまうような大規模なテロばかりです。

例えば、1983年4月、レバノンの米大使館に自動車自爆テロ、17人の米大使館員含む63人が死亡。同年10月にはベイルートの米海兵隊本部にトラック爆弾テロ、241人の海兵隊員死亡。83年12月、クウェートの米・仏大使館が爆破、5人死亡。84年ベイルートの米大使館にトラック爆弾、23人死亡。96年6月、サウジアラビアの米軍兵士用宿舎で爆弾テロ、米軍兵士19人死亡etc。

またイラン・イラク戦争の末期に、米国とイランは交戦しています。これも忘れている人が多いのではないかと思います。

当時、戦争が激化してペルシャ湾沿いの石油インフラ施設や同湾を航行するタンカーや商船に対する攻撃が行われるようになり、米海軍がクウェートの石油タンカーを護衛する作戦を開始しました。そんな中、米軍艦艇がイランの機雷攻撃を受けると、米軍とイラン軍の間で交戦になったのです。この時イラン海軍の保有する大型艦艇の実に4分の1が撃沈されました。

つまりイランは、圧倒的な米軍の攻撃になす術もなくやられてボコボコにされたのです。

この経験が、その後のイランの軍事戦略の方向性を決定づけました。イランは、巨大な敵と戦うための非対称戦争の能力、つまり、テロやゲリラ戦術のように、強者の一方的な優勢を許さない変則的で予測困難な攻撃を仕掛けることで、米国に負けない軍事力の構築を目指すようになったのです。

次回は、歴代米政権の対イラン政策をみていきます。

(つづく)